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主にあって心から歓迎いたします。
 私たちの教会は、私たちを創られ、そして全世界を支配しておられるまことの神さまをたたえ、喜ぶことを第一としています。ぜひ教会にお越し下さり、ともに神さまに向かって賛美と祈りを捧げ、また神さまから私たちへの愛のメッセージである聖書のことばに、ともに耳を傾けましょう。
 礼拝を通してあなたの心に神さまの恵みが豊かに注がれ、神さまが与えてくださる慰めと平安を受け取ることができるでしょう。

≪今週のメッセージ≫

マタイ4:1-11

■メッセージ
私たちは人生の中で、なんらかの形で悪と対峙することがあるかと思います。今日の聖書箇所は、その悪であるサタンとの戦いを我らに先んじてやってくださったイエス・キリストの戦いが記されています。今日はそのイエス・キリストとサタンとの戦いを通して神様が私たちに問いかけようとしていることを、御言葉に聴いて行きたいと思います。
前回の説教では、バプテスマのヨハネから洗礼を受けたイエスに天からの御声があり、イエスが神の子であると公に宣言されました。そしてその直後に、神の子として悪魔の試みを受けられたのです。1節をご覧ください。
「1,それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。」
これは不思議な節です。悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて、とはどういうことなのでしょうか。これを裏付けるのが旧約聖書ヨブ記1章6節〜12節の記事です。このヨブの記事から何がわかるかと言うと、サタンが悪を行うためには神様の許しがいる、ということなのです。ですから、イエスが荒野でサタンの試みに会うには、神様の許しがいるのです。そこで、御霊に導かれて悪魔の試みに会われた、というわけなのです。
ところでこの4章1節なのですが、新共同訳聖書ではこう書かれています。「1 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。」 私たちの信仰生涯の中で、神様からの試練、試みに会うこともあれば、サタンからの誘惑にも会います。またそれを分けきれない時もあるでしょう。大切なのは、すべて神様からの許しがないと起こらないことだということです。イエスにとってはこの荒野での試みは、神の子としての最初のテストだったのです。ではイエスはどのようにこのテスト、試練をクリアーされたのでしょうか?
ここでイエスはサタンから三つの試み、誘惑に遭います。そしてこれらの誘惑の本質はイエスに対し、十字架を経ずしてこの世界の支配者となる道が提供されたということです。つまりこれらの誘惑の正体は、神が与えようとされているものを、神のご計画とは違ったルートで獲得させようとすることにあったのです。それで、もしイエスがこの公生涯のはじめに悪魔の誘惑にそそのかされていたなら、悪魔が提示した栄誉は決してイエスのものとはならなかったのです。
 サタンからの試みがあった時は、確かに主イエスがされたように御言葉で勝利を得ることができると信じます。しかし、それに過度の注意を向けてはいけないと思うのです。なぜなら主イエスご自身が、その試み・誘惑の本質を見抜いていたからです。それは十字架を経ずしてこの世界の支配者となる道にいざなわれたということであり、奇跡や霊的な戦いに過度に目を向けることも十字架から私たちの目を離すことになるだろうからです。
 主イエスは決断されていました。自分に従う人たちを不必要な奇跡を持って、驚かせ感心させて人気を集めてはならないことを。また信仰においても、宣教においても妥協があってはならないことを。この決断は必然的に自分のために生きない、十字架の道を意味していました。しかしその十字架こそ、最大の奇跡であり、真の勝利であったのです。サタンを制せられた御言葉の陰に主の十字架があったのです。
 この主イエスとサタンとの戦いを通して神様が私たちに問いかけようとしていたこと、それは、この十字架への道でした。主イエスは自分のために生きませんでした。私たちもその主にならって本当に価値のある人生を生きていこうではありませんか。


≪集会のご案内≫

☆キッズクラブ 毎週日曜日 9:30-10:15
☆主日礼拝 毎週日曜日 10:30-11:15
☆恵みの分ち合い 毎週日曜日 11:15-11:45
☆祈り会 毎週日曜日 11:45-12:00

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